ジャスミン(辻原登/文春文庫)

 天安門事件後の上海や震災の神戸を舞台に、政治に翻弄される恋が国境を越えて実る物語。
 「女と良心の呵責を両腕に抱いて生きる」。この台詞が示すように、本作は幾多の困難を物ともせず一人の異国の異性を愛し抜く男女を徹底してフォーカスしており、しかもブレがない。上海や関西のおしゃれなホテルやお店、ODAを巡る緊迫した日中交渉、さらには遺体が放置された神戸の惨状等の二人を取り巻く舞台設定一切が、恋を刺激するスパイスにしか過ぎない、と思えてしまう。一度は中国の公安に捕まり強制労働させられていた筈のヒロインに、何ら苦労の影がささず、以前にも増して美しいところなどは、リアリティと別のものを作者は追求していることを示している。しかし、そのような指摘が些細なものに思える程、戦前にまで遡る日中交渉史の史実が完全に消化され虚構の中に巧みに組み込まれている。特に、中国公安当局幹部にまで立身した奇妙なウイグル人の友人や、ヒロインの祖父で神戸華僑の実力者等、脇役の配し方・描き方は秀逸と感じた。