晴れた空にくじら 大西科学/GA文庫

 ISBN:9784797349160
 空飛ぶ鯨がいて、人々はそれからとれる浮き球を利用して飛行船を飛ばしている世界。この設定以外は日露戦争の戦場という約100年前の「現実」を舞台にしている。
 飛行船の操舵手の雪平(せっぺい)は関西でいう「いらんこと言い」だ。女の子を前にしてセクハラまがいの寒いジョークを口にし、機関手の槍次からにらまれ、当の女の子・クニから思いっきり殴られる。いつのまにか次々と女の子に惚れられるライトノベルによくあるヒーロー像と正反対な主人公が描かれているところに特色がある。
 だが、「非モテ」な雪平にも輝く時がある。ロシアの軍船の攻撃により仲間と船を失ったクニからの頼みをきっかけに、自分達の飛行船を飛ばすための準備をはじめ、飛立ったあとは飛行技術と浮力に関する知識を駆使してロシアの追撃を次々とかわしていく。飛行船の描写で正確な物理法則が用いられているのは、科学雑文サイトを運営している作者の面目躍如たるところだ。特に、墜落したクニの船をリサイクルするため浮力を保ちながら運ぶシーンでは、運動方程式(運動の第2法則)がもたらす現実と僕たちが誤解しがちな想定結果との差異がキチンと示されていて個人的に勉強になった。
 いいところをヒロインに見せて、感謝もされて、彼女の内面も少し伺えた。後はお互い少しずつくっついてゆくだけ…というルートが主人公に全く保障されないのが、この作者の恐ろしい(あるいは素晴らしい)ところだ。前作「ジョン平」シリーズの北見重も然り。ここでも通常のライトノベルと違い現実に非常に近い作中世界であることが伺える。
 ややくどくて説明調の文体はなじめない人も多いと思われる。ただ、前述した科学知識を記述するには欠かせないものとして受け取っていただければ、と思う。少なくとも、どんなに切羽詰った状況で活躍しても、熱狂もせず興奮もせず、どこかのほほんとした主人公達の雰囲気を味わっていただきたい。この作風は貴重だ。
 
 「いらんこと」を一言。前半に出てくる中国人の李さんだけど、旦那も同姓というのは明らかな間違い。宗族社会の中国(朝鮮もそうだが)では、女性は結婚しても父親の姓を生涯名乗り続ける(例:孫文宋美齢夫妻)。版を直すときに改めてはいかがか

(7/18追記)よく考えてみれば、同姓でも宗族集団が異なっていたので婚姻が許されていた可能性に思い当たった。「李」という中国人の中で最も多い姓の一つであれば、その可能性も高いはず。宗族制が否定された新中国成立(1949)以前、同姓不婚の原則の実際やそれがどれだけ徹底されていたのか等についてネットの情報に頼るのは非常に危険なので、上記のように抹消します。