ぶよぶよカルテット みかづき紅月/一迅社文庫

 これは今回のラノサイ杯(2008年上半期)に感謝したい作品。音楽を一端は諦めた少年琢己が、異端の作曲家をこの上なく愛する天才音楽少女トリルと出会い、彼女の音楽と彼女自身に心ひかれてゆく……。もうベタ甘で青臭さいっぱいの青春音楽ドラマが幕を明けます。

音城(おとぎ)トリル

 こちらでも婉曲に言及されているように、ボロアパートに住み作曲魂に火がつくと寝食を忘れてしまう等の点で「のだめ」とイメージが被ります。のだめとの違いは、目指すべき目標が明確にあってそれを他人に向けて公言し続けているところかな。コンサートでの演奏に背を向け生涯気儘に作曲を続けたサティに心酔、楽曲だけでなくその生き様や姿形までも真似ようとするトリル。無理解な周囲との衝突が絶えない理由がここにあります。
 学校で一、二を争うとされる容姿でありながら周囲を容易に近づけようとしない彼女に、琢己は「もったいなさ」を感じ実際それを口にも出すのですが、「女子高生らしさ」とはどういうことかだとか、この山高帽子はサティに近づくのに不可欠なもの等という反応が当初は返ってくるばかりです。
 頑なすぎ自分で自分にリミットを設定しているという見方ができる一方で、自分の才に誇りを持ち、節を曲げない姿勢は見事です。

地梨琢己

 ふとした偶然からトリルと演奏を共にすることになった琢己。当初は彼女に引きずられていた感がありますが、彼女を喜んでもらうため前向きに動こうとする積極さがポイント高いです。自分から誘った休日のショッピングをハナから「デート」と主張したり、自分の失言に直ぐ気付いたり。「鈍感・受身」を絵に描いたような男の子が多いライトノベルの中で異性(への)の感情の働きにここまで自覚的な処は却って新鮮でした。どこかのナオ君に爪の垢でも煎じて呑ませてやりたい。途中あるキツイ一言から一端ヘタれる所はお約束なのですが、幼馴染・七瀬凛音(りおん)とトリルとの意外な関係を知ったことからある企画を彼が立ち上げる流れが至極自然に感じられたのもこういう下地を描いていたからだと思います。反面、凛音と琢己の関係の描写が少なくやや物足りない感じ。
 のだめを世に出すにあたって真一君がまず必要だったように、トリルが自分の限界を乗り越えるためには琢己の存在が不可欠だった訳ですね。

構成について

 トビュッシーとサティの友情に関する実話等音楽の関連知識を巧みに取りこんでいる点、劇中劇がトリルと凛音の音楽観の違いや二人の人間関係を象徴している点等に作者の構成力の高さを感じました。
 また、以下のように、交響曲の構成から本作の各章の役割を読み解いている人もいらっしゃいます。勉強になりました。

この作品、ちょっとした分析をしてみると、4章形式でできてる。(中略)まぁ、カルテット、四重奏の曲でもよくあるかな(KypDurron's Style 2ndから) 

 

ぶよぶよカルテット (一迅社文庫 み 1-1)

ぶよぶよカルテット (一迅社文庫 み 1-1)