中国低層訪談録 廖亦武/集広舎・中国書店

 現代中国の下層社会に生きる人々の本音を聞き語りしたものを綴っている。ヒアリング時期は天安門事件以降の’90年代の各時期にまたがっている。2001年中国で出版されたが、著者の他の著作と同様たちまち発禁処分を受けた。
 本書では31人の語り手が登場するが、(1)出稼ぎ労働者、売春を営むホステス(三陪)や税負担軽減を目指し実情を告発して冤罪に陥れられた農民などのように情報を発信する手段・機会を持たない所謂「声なき民衆」(2)新進の文芸誌編集者や地方銀行の副頭取である等したが、反戦論を唱える・天安門事件を告発する等したため、地位を追われ投獄された「知識人」(著者もこちらに属する)というように大きく二つに分けることも可能だろう。

現代中国の底辺に見る悲惨と栄光

「声なき民衆」の中には、思わず蔑みの言葉が零れてしまいそうになる位前途に希望をなくし最低限のモラルを失った人物も登場する。農村のヨメ不足を自己正当化に使い、女性であれば「大学院生」でも騙すことに成功したと嘯く人身売買の男。子供は放っておいても「物乞い」して育つものだと言い放つ出稼ぎの男。中でも衝撃的なのは、迷信深い農村でハンセン病患者と誤診され生きながらに妻を村人達に焼き殺された農夫の話かもしれない。著者は、妻が殺された時の気持ちを語り手に問うのだが、彼は妻にかけられた「呪い」を解くには仕方がなかったと村人への感謝の気持ちすら漏らす。経済の開放も相当進んだ’90年代半ばにあった実話である。
 一方で自分の職や信条に誇りを持ちつつ動乱の人生を生き抜いた先達に対する著者の眼差しは暖かい。汲取り・清掃・排泄物の農村への運搬というように生涯を公衆トイレ管理に捧げた老人。様々な理由で損壊した死体に死化粧を施し遺族達に感謝されてきた死化粧師。彼等が己の職業人生を回顧する中で、清風運動、大躍進、文革、開放そして天安門といった政治的イベントが触れられており、それらが言わばノンポリな庶民にどのように影響しまた受け止められていたかを垣間見ることができるのも貴重である。
 知識人や元エリートへの聞き取りの内容は、その性質上やはり彼らがどのようにして「道を踏み外したか」が中心にならざるを得ない。麻薬で身を持ち崩した「自業自得」としか言えない例もあるが、開放がもたらした’80年代前半の比較的「明るい」ムードの中でつい全面戦争否定を発表したがために失脚した劉徳の例など、躓きの石はどこにでもあると嘆息せざるを得ない。上級地方組織の幹部が表明した「方針」を信じて地元の汚職を告発して逮捕された農民・闕定明の例もそうだが、「どこまでが許容されるのか」の範囲が恣意的で実にあいまいなのだ。
 そんな全体を萎縮させるムードの中で、自らの信念を貫き通せる人物の存在は感動的であり胸を打つ。長期間の「禁教」の後、ローマ教皇*1が信徒の唯一の精神的支柱であるという教義に忠実な故に共産党に従属する形でカトリック教会を復活させることに反対し続けた老神父・張剛毅。地主階級の出身であることを理由に結婚前の妻を迫害するよう迫る上司に「(党がそのような非道なことを要求するのなら)彼女を愛します」と言ってのけた馮中慈(ただし現代ではなく1957年の事件)。党を除名された馮はこのあと砂漠の果てに流刑された彼女を追いかけ一緒になる。

読み終わって見えてくるもの

 まず、権力の濫用や弱者に対する迫害に対する救済制度がいまだに貧弱で、またそのような事態を事前に食い止める制度の欠落もしくはそれらを助長するような制度の存在があげられるだろう。
 前者では、(1)手続保障が伴わず党・行政に従属する司法制度*2(2)行政に異議申立する手段・機会・実効性が保障されていない*3などがあげられ、後者では(3)政府や党から独立したマスコミの不在、本書の発禁が示すようにそもそも「表現の自由」「言論の自由」が未保障(4)私有財産や契約等私人間の取り決めを蔑ろにする風土*4(5)戸籍制度、単位*5制度、档案*6制度など、党が社会の隅々まで目を光らせる各種の精度が国民への抑圧を生み、また党(特に幹部層)と社会との間に緊張関係を生じなくさせている、等があげられよう。
 先に紹介した神父や元党員の行為が光輝くのも、人権保障の為の制度が貧弱な故に、ミラクルとも言える個人的抵抗に頼らざるを得ない状況がもたらした結果とも言える。
 また経済成長は中国の底辺層の生活水準の向上をもたらさなかったわけではないことが改めて確認できたように思う。経済の市場化は人々を飢饉で「人肉を喰らう」悲惨な状況(本書「死化粧師」参照)から確実に遠ざけ、「今の一般的な生活水準は概ね解放前の地主程度の暮らし向きに匹敵」(本書「老地主」参照)する程度には上昇してきたのだ。もちろん所得格差は経済開放前と比べて開いていったのだが、本書の話し手のうち党幹部の腐敗や自分の主張が聞き届けられないことに対する憤りを露にすることはあっても、格差是正を叫ぶ人物が皆無に近いのは印象的であった。繁栄する沿岸都市や成功者との接触体験の少なさ(聞き取り先は主として四川省内)や日々の糧に追われる余裕のなさが、「羨む」気持ちを抑えていたのだろうか。西安など内陸主要都市でも工業化が進行しそれによる成功者が輩出している現在、本書の登場人物達はどのような感想を抱いているであろうか。
 それにしても「並み」の告発本と一線を画しているのは、話し手の人間的魅力を最大限引き出している著者の筆力である。否定的人物、例えば富裕層の子どもを身ぐるみ剥いで平然としている浮浪児についても、その個人的事情を描くだけではなく追剥することの「理」について主体的に堂々と語らせることで、「悪」が放つ魅力すら醸し出すことに成功している。先に見た抵抗者の聖性とあわせて、追い詰められた状況で現れるいささか極端なまでの人間の「栄光と悲惨」を味わうことができるのが、本書の最大の魅力であると思う。その魅力は体制の違いや生活水準の差を超えた普遍的なものであろう。どこか悠揚迫らぬユーモア溢れる文体も読み手に希望を伝えてくれる。

他の書評
 中国の「どん底世界」『中国低層訪談録』を読む矢吹晋氏)

中国低層訪談録―インタビューどん底の世界

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*1:バチカン市国はいまだに中国と正式な国交を持たない数少ない国の一つである

*2:証拠・証人なしに実施される政治犯の裁判:本書「反戦反革命分子」参照、地方党書記の意向に沿わぬ不動産事業行う企業家・呂金玉(金ヘンに玉)を横領罪でっちあげて逮捕・起訴・有罪判決:本書「破産した企業家」参照

*3:首都や省都で有力者に訴える「上訪」という労力・時間のかかり不安定な手段しかないのが実情:本書「上訪詩人」参照、場合によって懲罰的な刑罰を喰らうおそれあり:本書「冤罪の農民」参照

*4:先にあげた呂は地方政府との間で締結した開発に関する契約を無視され、投獄後その財産は山分けされた

*5:生活保障機能と政治管理機能を併せ持つ学校、職場等のこと。かつての人民公社国営企業の工場などが典型

*6:国民一人一人の履歴、能力に始まり言動、交友関係、思想信条などを事細かく記した「身上書」。共産党の人事担当が管理