緊急改訂 知られていない原油価格高騰の謎 芥田知至/技術評論社

 適度な分量で、経済学的視点と原油市場の分析から、原油価格が決定されるメカニズムと最近の高騰の理由を解説する好著。需給メカニズムで価格が決まるプロセスや先物取引の基礎を懇切丁寧に説いているところに、市場取引について全く知識を持たない読者にも手を取ってもらえるようにしようとする配慮が伺える。
 本書の主張を次の4つにまとめてみた。
1.原油の価格を決定する特定の国や団体があるわけじゃない。そしてそこから原油枯渇尚早論が導かれる。 
 原油の価格はいかに決定されてきたか。著者は、石油産業がアメリカで成立した20世紀初頭から今日までの歴史を振り返る。それによると、確かにセブンシスターズ(メジャー)やOPECが価格を支配した時代もかつてはあった。だが、いずれも瞬く間にその地位を失い、不特定多数の人々が価格形成に参加する市場メカニズムが機能する「プライステイカーのいない」状態に至って既に久しいことを明らかにしている。最大の輸出国サウジアラビアにおいても、値付けにあたっては灯油・ガソリンなどの加工製品の消費価格から流通マージン等を差し引く等して決定しているという。市場メカニズムが有効に機能しているからこそ(供給者・需要者・仲介者など市場関係者の思惑が価格・数量に反映されるが故に)、メジャーやOPECプライステイカーであった第1次、第2次石油危機の時に比べて今回の高騰がはるかにマイルドなものになっている指摘は重要である*1
 原油は最早一握りの国や企業が支配する「戦略商品」としての性格をとっくに失っている。このことは、原油が価格を通じて需給調整される「市況商品」であり、価格高騰が「長期的には」産油国や石油産業に増産するインセンティブを与えることを意味する。全世界で後約40年(中東は約80年)とされる確認埋蔵量も価格上昇・技術開発・コスト削減等で油田開発がペイラインに乗れば増える可能性が十分ある数字であること、カナダのオイルタール・深海底の石油など手つかずであったり未確認であったりする地域・分野の存在が、その見解を後押ししてくれる。
 また、巷間よく言われるBRICsの経済成長による需給逼迫論に対しては、ロシアの増産が中印等の消費量増加を上回っていることが示されており現時点においては誤りであることが確認できる。
2.では、何が今の原油価格を高くしているのか。市場関係者は足元の供給懸念をきちんと理解している。
 現在原油の市場価格を高くしている原因は何か。消費国側と産油国側それぞれの事情から読み解かれる。
 消費の中心地となる先進国、特にアメリカでは経営効率化による製油所の統廃合により製油能力の減少が顕著になっている。これにより石油製品すなわち灯油やガソリンなどの品薄が予想され、それらの石油製品の価格にプレミアムが乗せられる。このプレミアムが先に述べたサウジアラビアでの輸出価格が決定される要領に従い原油価格に反映される。
 産油国や石油産業の側では、’80年代の増産による値崩れの再来を警戒していることや経営効率化のため、新規油田開発や産出能力向上への投資に及び腰になっていることが多い。これが生産量の天井をもたらしている。
 以上の足元における2つの供給不安に対して取引当事者が持つ懸念が如実に反映される場が先物取引市場である。価格変動リスクを回避するために編み出された先物取引は、今や生産者、精製業者、電力会社、販売業者、輸送業者等全ての取引当事者にとって必須の取引手法だ。NYMEXなどの国際的な先物取引市場では、年々取引高は増える一方だが、実業者が営まない投機筋の取引の割合が増加しているわけではない。また投機筋のポジションも「売り」「買い」いずれのポジションに偏っているわけではないことも重要である。2007年後半以降、確かに投機的側面も増しては来ているが、それは景気後退によるドル安やインフレ懸念を背景とした理由が判明しているものであり、基本は先に見た2つの供給不安に対する取引当事者の懸念が率直に示された結果であり地に足が着いたものだと言えよう。先物市場に価格を吊り上げるモンスターが潜んでいるわけではないのだ。
 この供給不安がもたらした価格上昇が持続的なものか、1.で先述した「価格高騰が『長期的には』産油国や石油産業に増産するインセンティブを与える」予測と矛盾するものではないかという検討が必要になるが、それは4.の主張でなされる。
3.原油価格高騰は消費国から産油国への所得移転を招く。一方、オイルマネーは世界経済を支えている。
 価格高騰は当然、消費国から産油国への所得移転招くがそれが世界経済に与える影響はどのようなものか。著者は消費国について国ごとの影響の度合いを計るため、原油依存度(自国通貨建て原油消費金額/名目GDP)を(1)原油原単価(原油消費量/実質GDP)(2)ドル建て実質原油価格(ドル建て原油価格/米国のGDPデフレーター)(3)対ドル実質為替レート(ドル円相場/自国のGDPデフレーター×米国のGDPデフレーター)の3つに分解してそれぞれの要因が依存度の上昇・下降に与えた影響を数量的に示す。
 それによると(1)原油の使用効率を示す「原油原単価」は第2次石油危機直後の’80年代前半は各先進国で改善されたが、’90年代に入ってからは余り改善されていない(2)’80年代後半〜’90年代前半までの先進国の依存度低下を支えたのは、ダブつきによる「実質原油価格」の低下および(日欧においては)「対ドル実質為替レート」が自国通貨高に振れたことによるものだった(3)ただし途上国においては自国通貨がドルに対して余り上がっていない/大きく切り下がった(’97アジア通貨危機の影響大)ため依存度は先進国と比べて下がらず/むしろ上昇した国もある。ために価格高騰の影響は先進国より深刻であるのが一般的である。
 日本においては、農漁業やガソリンスタンドなど価格転嫁を行いにくい一部業種で深刻な影響が出ているのは報道されている通りだが、マクロ指標に与えている影響としては’00年代前半の円安基調とあいまって輸入物価指数上昇により名目貿易収支の黒字幅縮小があげられる(物価指数で調整され、物量感を反映した実質ベースでは黒字拡大基調)。
 一方産油国においてはそれらの国々の歳入拡大(OPEC諸国では石油会社が国営化されていることが多いので、会社収益の改善がダイレクトに結びつく)を促し、歳出拡大等により当該国経済に良い影響をもたらすとともに、湾岸諸国など元々所得水準にゆとりのあった国々では得られた黒字を積極的に金融資産への投資に回していることがレポートされている。産油国経済の活況による輸入拡大による先進国・新興国輸出拡大という貿易ルートと先進国の金融資産市場へのオイルマネー流入という投資ルートの2つによって世界経済(そして日本にも)に好影響がもたらされている。このことが2つの石油危機の時と異なり原油高騰による悪影響をよりマイルドなものにしている一因となっている。
4.この価格高騰は永遠には続かない。今までの議論から将来の価格動向を予測する。
 2.で見たように供給不安が主因となって原油の市場価格は高くなっているが、油田新規開発や産出能力向上には効果が出るまで時間がかかるため供給不足が長引く傾向を持つ。需要側で見ても原油は世界の必需品という特性を持つ為、高価格であっても消費量がなかなか落ちず、需要超過が解消されにくい。以上により需要超過・供給不足の状況が解消されにくいため価格上昇が長引く傾向を持つ(裏返しで需要不足・供給超過による価格下落が長引く傾向あり)
 だが、石油危機以降の歴史を振り返ってもわかることだが、価格上昇が続くとやがて需要は落ち込むので自ずとストップがかかる。著者はそれを第2次石油危機直後、原油依存度が最も高まった価格水準や代替エネルギーの価格水準を参考にしながら、現時点で取り得る価格上限を1バレル=103〜112ドルの間と推定している(下限は1バレル=52〜64ドルと推定)
 「世界経済は原油価格上昇を概してうまく吸収して成長を続けてきたし、これからもそれは持続可能だ」というのが本書全体の結論であろう。
5.感想
 本書刊行(今年5月)後、WTI原油先物取引市場での価格は7月に一時1バレル145ドルという高値を付けた後急落し、本日で65ドル台まで下落している。本書に記載のある価格予想の数字はあくまで数年単位の長期的なトレンドを示すものであり、一日で何十ドルと乱高下する短期的な市場価格を予想したものではない。よって当たる/当たらないで本書の価値を判断するのは早計であろう。
 むしろ、原油の持つ商品特性や歴史的経緯等からその価格形成のメカニズムを概観することで、「すわっ第3次危機」「’70年代の大インフレ再来」と短絡的に判断を下すことを戒めるところに価値を見出すことができる。また悪意ある犯人探しなどへ議論の方向を誤たさない効果も期待できるだろう。
 本書では、化石燃料による温暖化や省エネルギー代替エネルギーの必要性についても触れられているが、付けたりであり一般論を出るものではない。ここで温暖化の証拠としてあげられているICCPのデータについては気象学者から疑義が出されているように怪しげなものであったり、温暖化対策にCO2削減をもってするやり方が経済学者らから「最も愚劣」と評されたり(コペンハーゲンコンセンサス)している点は適宜別の本によって補う必要がある。
(メモ)
・「バレル」とは樽(barrel)。20世紀初頭、アメリカで原油は樽詰めされ運搬されていたことの名残。
・硫黄分が少ない原油はそれだけ除去する手間が省けるため「スィート」と言う。逆が「サワー」。
・石油は炭化水素。炭素の数が増えるほど沸点があがってゆき、これを利用して各成分を分留する。
OPECに対抗する主な石油消費国の集まり「国際エネルギー機関」(IEA)。中印露伯は未加盟。
アメリカは国内消費の約半分を国産原油でまかなっている。ヨーロッパは約20%。日本はほぼ0%。「原油原単価」が欧米より低い(それだけより効率的に消費)日本は、それが海外依存の程度の高さと打ち消しあって、結果として欧米と原油依存度の水準は変わらない。

[緊急改訂] 知られていない原油価格高騰の謎

[緊急改訂] 知られていない原油価格高騰の謎

*1:’80の原油価格をインフレ率勘案して現在の通貨水準に置き直すと1バレル104ドルとなり’08初頭より高い