産業政策論の誤解 三輪芳朗、J・マーク・ラムザイヤー/東洋経済新報社

 「日本の産業政策が有効に機能し、高度経済成長に積極的に寄与した」とする「通念」を検証し、それを全否定する。
 「通念」の検証にあたって二人の著者は、まず先の「通念」が検証され根拠が示されることなく「自明の理」視されてきたことを明らかにする。そして、産業政策が「最も有効に機能した」と信じられていた’60年代前半にスポットを当て、その当時発生した「日清紡事件」「出光事件」「住金事件」などの具体的事件に沿い、通産省はじめとする中央省庁担当部署、当該企業、業界団体などの事件における個々のプレイヤーの具体的行動に影響を及ぼしうる「政策手段」が存在したのか、そのような「政策手段」の行使を可能にする「環境条件」が整っていたか、「政策目的」の追求が政策意思決定に関わる政治家の誘因と整合的であったかを丹念に当時の新聞記事等から読み解いていく。
 二人の著者の結論は下記のとおりである
 (1)省庁は、個別企業の行動に重大な影響与える有効な「政策手段」を持たなかった(紛争解決はまず業界内で自主的になされ、解決できない時はじめて「調停役」として省庁は舞台に登場した。省庁は「不況カルテル」「生産調整」等を受け入れようとしない企業にそれを強要したり、応じない場合制裁したりする手段を持たなかった)。
 (2)例外的に有効と思われる「政策手段」(例、石油業法下で通産省が有した設備新増設の許可権限など)ある場合でも、省庁はその行使に及び腰であるか、全く行使しなかった。
 (3)様々なスローガン(例えば「産業再編成」)で彩られた「産業政策」の多くは、明確で具体的な「政策目的」とそれを実現するための「政策手段」を欠いていた。さらに実施省庁は「政策」を是が非でも実施する強固な意思を持たなかった。すなわち、「産業政策」は「失敗」ではなく実施されなかったのである。
 (4)民間経済主体に対して介入的な政策を行わなかった点では、日本政府は他の先進諸国政府と異ならない。また、自由な市場メカニズムを通じて経済成長を図った点でも変わらない。
 (5)「日本の『産業政策』が有効に機能し、高度経済成長に積極的に寄与した」とする「通念」は、明確な証拠に基づかず、観察事実に整合的でないという意味で誤りである。
 二人の著者は、省庁の背後にあった政権党・自民党と、その重要なスポンサーとして政策に影響を与えた経団連を初めとする財界の動向について、注意を促す。すなわち、貿易自由化・資本自由化の流れが不可避であることを十分に弁えていた自民党と、政府の統制を国民の経済的利益に資さないと一貫して自由化政策を要求し続けた財界こそが、戦後の経済政策をリードし続けた主役であったとする。省庁の策定する「産業政策」もこのような自由化・国際経済との一体化を主眼とする「基本政策」に逆らっては成立せず(例、介入主義的な特振法は再三にわたって流産した)、上記事件で通産省が慎重な態度を堅持し続けたのはその現れであると結論づける。時に特定の官僚のパフォーマンス(例、佐橋通産省事務次官の「住金事件」における一連の発言)が注目されることがあっても、それはマスコミの受けを狙った内容空疎なものに過ぎず、事件解決には何ら結びつかなかったことを示している。官僚達は、最初から「釈迦の手の上の孫悟空」であり、またそのことを十分に弁えていたと言える。

通念定着の理由

 著者は、誤った「通念」が長期間にわたり通用した理由やメカニズムについて「本書の課題ではない」と断りつつも、(1)言説を需要する側が、一端広く受け入れられてしまった「通念」の検証にコストがかかるため、検証を行う誘因を持たなかった(2)政策に関与する政治家・官僚・業界団体関係者が、自らの立場を投票者に向けて大きく見せるために「政策」が何か望ましいことが有効に実現できる(その実証は誰も行わない!)とする「見方」を好み、絶えずそれを吹聴し続けてきたことに求めている(pp.517―520)。ただし、それに加えて「議会を軽視し」「上からの統制を好む」マルクス主義が広く戦後日本の思潮を支配し続けたことに理由を求めているが(pp.152―153)、その実証はここではなされておらず状況証拠に留まっている。

本書の今日的意義

 本書は、産業政策のみならず広く経済政策における政府や官僚の役割をどのようにとらえるかについて示唆を与えてくれる。

 「聞きたいのは、『バブル経済』とそれに続く日本経済の長期停滞からの脱出策、日本経済の脱出策だ」と期待する読者も、ここまでくれば、政府にそんな期待を抱くのも「通念」の産物であり、見果てぬ夢だと観念するはずである。(p.521)

過去の歴史に関する誤った認識を改めるにとどまらない。われわれの生きる日本経済(さらに世界経済)の作動メカニズムを的確に理解することを通じて、よりよい経済社会の構築に貢献するはずである。(p.5)

 今次の経済危機に際し、景気浮揚に向けた対策を論じるにあたって、政府の各種施策と直結する財政政策ばかりが紙面を賑わし、中央銀行が担うべき金融政策がほぼ忘れ去られているところに、政府に過剰な期待をする「通念」が政治家やマスコミそして国民をいまだ捕えて離さないと見ることができる。

産業政策論の誤解―高度成長の真実

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