半身 サラ・ウォーターズ/創元推理文庫

 はじめてのサラ・ウォーターズ。「このミス2004」海外部門第1位以外の予備知識全くなしで読みました。結果的にはそれが大正解。
 1874年のロンドン。不幸続きで傷心のマーガレット・プライアは、上流階級の令嬢という身分を活かしミルバンク監獄の女囚獄へ慰問のため訪れます。そこで出会った「掃き溜めに鶴」のような少女シライナ・アン・ドーズ。著名な霊媒で交霊中に起こった事故が原因で投獄された彼女にプライアは心奪われます。それからというものプライアの身辺には不可思議な出来事が立て続けに起こるのです……。「百合」の耽美やらビクトリア朝時代の階級文化に霧のロンドンやらがお好きな方には超おすすめ。

ミルバンク監獄

 なんと言っても歴史的考証も十分に物語の舞台となるミルバンク監獄を描いているところがすばらしい。
 お粗末で劣悪な衣食住、病気になると碌に医者にもかかれず死に追いやられ、無意味で懲罰的な労働に心身をすり減らしてゆく当時の監獄事情が事細かに描かれてゆきます。中でも暗澹とさせられたのが、看守達と囚人達に絶望的なまでの隔たりがあること。自身劣悪な労働条件に苦しみ外界から閉ざされた看守達は、囚人達が置かれた環境に同情するゆとりもなく、杓子定規に規則を振り回すことでより劣悪な状況へ囚人達を追い込みます。物音一つしない暗黒に何日間も囚人を閉じ込め平然としている看守たち。たった一人だけいた温情的な看守を除いてマーガレットは彼女達と心を通わすことはできません。
 このような環境に囚われた霊媒の少女シライナと監獄外にいるマーガレットの身の上がシンクロして描かれているのも見逃せません。父譲りの教養はあるがそれだけでは女性は職業を得ることができなかったこの時代。彼女の性癖も手伝って30歳にして婚期を逃したマーガレットは実の母からもはっきりと余計者扱いされてしまっています。さらに言えば「お嬢様」の身分に甘んじている故に下層にいる看守達から鼻にも引っ掛けられず、監獄の劣悪な事情を前に「無力さ」をかこっている点にも彼女の孤立ぶりは伺えます。
 終盤間際まで、このような監獄の風景、マーガレットの家庭事情そしてシライナの過去が、日記形式で比較的淡々と綴られていきます。かったるいと言えばかったるいのですが、作者がこの長大な叙述を置いた真の意図は生半可なものではなかったのです。
(以下、ネタバレ)

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なぜ、アメリカは崩壊に向かうのか  チャールズ・R・モリス/日本経済新聞出版社

 サブプライム問題に端を発した米国の金融危機を信用バブルと断定、その原因についてここ四半世紀間米国主導してきた市場を万能視する保守主義的思潮に求めるものです。
 長年、金融界に身を置いていた著者らしく、あらゆる金融商品証券化しそれに高い格付けを与えて高値で売り抜けるカラクリの説明やそれが破綻してゆくメカニズムについては説得力があります。本書では第3章、第4章それに第6章がその著述に当てられています。
 しかし、それ以外の所は印象論を出るものではないというのが感想です。例えば、第5章で産油国や中露という「民主的とは言い難い」国々にドル資産が集中していることの危険性を説きますが、それによって具体的にどのような危険が生じるのかについては述べていません。また同じ章でドル下落によりそれら新興経済国の対外資産のドル離れによってドルが基軸通貨の地位を失う可能性を指摘していますが、これなどは特定国へのドル資産集中の指摘とどのような整合性を持つのでしょうか。それらの国々のドル資産が他国通貨に振り替えられるという点では米国にとって「歓迎」すべき事態ということになるのではないでしょうか。
 最大の疑問は、信用バブルを「放置」、それを防止するための金融引締の措置をとらなかったとしてグリーンスパンFRB前議長を執拗に批判している点です。バブル潰しを怠って苦境に陥った例として日本を著者はあげていますが、事実は逆に三重野総裁の下で日銀がバブル潰しのため金融引締を強行、景気悪化が明白になったにも関わらずそれを放置したことが平成不況を長引かしたのではなかったでしょうか*1。批判されるべきは、己が対処すべき問題でないことに金融政策を当てはめ本来己が対処すべき問題に金融政策を当てはめることを怠った日銀である、という私の理解は誤りでしょうか。なお、バーナンキ現議長も中銀が資産価格バブルを判断する基準を持たず、(日銀がとった)資産価格に影響を与えるような大幅な金融引締めは景気に深甚な影響を与えることなどを理由*2に資産バブルに対し金融政策を用いることを否定、バブルが弾けた後の金融緩和に専ら力を注ぐべきことを力説しています。グ前議長が2001年にとった果敢な行動やサブプライム問題が表面化して以降のバ議長の方針もその流れに則っていることは言うまでもないでしょう。
 グラス=スティーガル法の復活等古色蒼然とした規制強化を訴えたりしている等、信用バブルに対する処方箋については見るべき論述はありません。ケインジアン=「大きな政府」志向のリベラリストシカゴ学派=「小さな政府」を好む保守主義者と、経済学派を唐竹で割ったように対立する政治的立場へと割り振ってしまう点もなんだかなぁという感じです。

なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか―信用バブルという怪物

なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか―信用バブルという怪物

神様のメモ帳 杉井光/電撃文庫

 「ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート」と同時に読んだのがこちら。アリスの喪服姿や「死者の真実を探偵する」といった彼女のセリフからこちらも「死者の記憶」というワードを想起しながら読了。というより、(主要登場人物については)死者こそ出ないものの現実で「物言えぬ存在」になった少女の真実を解明しようとする点、こちらの作品の方がよりヘヴィで「死者の記憶」という言葉にふさわしい感じがします。そう言えば、杉井氏の最新作「ばけらの!」(GA文庫)でも「記憶される」ということが登場人物の生死に関わる設定だったという記憶が。触れ合うことで痛みを感じつつもそれでも捨て去ることができないヒトとヒトとの関係を描き続けるのが杉井氏のテーマなのかもしれません。

この作品の書評
 MOMENTS  SNOW ILLUSION blog 

神様のメモ帳 (電撃文庫)

神様のメモ帳 (電撃文庫)

 

ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート 森田季節/MF文庫J

 陳腐だけど「新人離れした完成度」という形容が一番よく当てはまる作品。
 「タマシイビト」という異界からの来訪者に記憶と生命を狩られ続ける「イニシエビト」。数年を経ずして蘇る「イニシエビト」に関する記憶は人々から失われている。「イニシエビト」がその存在を人の記憶に留めてもらうには、「タマシイビト」に殺される前にその人に殺してもらわねばならない。かつてその記憶を留めるため「イニシエビト」の少女を殺した神野真国(じんのまくに)と左女牛明海(さめうしあけみ)の前に再びその少女栄原実祈(さかえばらみのり)が姿をあらわす。都市伝説を題材にした青春恋愛小説です。
 殺人シーンが繰り返されるのに残酷さを感じなかったのは、人が他人に対して向ける自意識の象徴として理解したからでしょうかね。他人に記憶されることで初めて「自分」は存在できる。記憶から抹消され「存在した」こと自体が否定されることに肉体的な死以上の恐怖を感じます。まして明海達のように中高生の時は尚更それは切実ではなかろうかと。作者の現住所地ということだそうですが、千年の死者の記憶を溜め込んだ京都が舞台となっているのも狙ってやっていることなのでしょうか。
 他人に記憶して貰うために、真国と実折は「ベネズエラ・ビター」なるバンドを始めるのですが、「ピアノソナタ」のように行間から音色が聞こえてくるような音楽描写は残念ながら期待できません。ただ、素で聞けばひたすらエグく青臭いだけの歌詞を自己肯定の賛歌として聞かせるパワーには圧倒されました。
 「このラノ2009」の投票締切を目前にしてこんなに力のある新人さんの登場は正直想定外。どうしようか。癖があって読者を選ぶ作品であるのは間違いないのですがね。

この作品の書評
 少年少女科学倶楽部  ウィンドバード::Recreation
 

最底辺の10億人 ポール・コリアー/日経BP社

本書の意義

 これまで一様に「貧しい」と形容されてきた途上国は、「急激にあるいはそこそこに成長する」40億人のいる国々と大部分がサハラ以南のアフリカに集中する「停滞または経済が縮小してゆく」10億人のいる国々の2つに分裂した。本書は後者にスポットを当て、それらの国々の成長を阻んでいる真因(著者は「罠」と呼んでいます)は何なのか、その枷を取り除くために(特に先進国が)できることは何があるのかを論じていきます。
 著者は世界銀行において開発研究グループ・ディレクターを務め、現在はオックスフォード大アフリカ経済研究センター所長。マクロ経済学ミクロ経済学そして政治経済学と幅広いアプローチでアフリカの現状についての分析を行っており、学術面と実務面にまたがって業績を残してきた人物です。 http://users.ox.ac.uk/~econpco/ 

お薦めどころ1:統計研究による原因追及

 世銀で途上国の開発研究行うセクションを率いていた著者らしく、統計研究を駆使し最貧国の発展阻害要因を解明してゆくところが醍醐味ですね(第2章〜第5章)。
 例えば、長引く内戦や頻発するクーデタ等という1つ目の「紛争の罠」を読み解くところでは、(1)低所得(2)低成長(3)農産物など一次産品に依存した産業構造が「紛争」の起こり易さと相関関係にあると解析。対照的に(1)所得の不平等や(2)民族の多様性(3)植民地支配に象徴される過去の歴史等と「紛争」との間には関連性があまり見られなかったとしています。ユーゴやルワンダ等の紛争から多民族性と紛争とをすぐに直結してしまいそれ以上深く考えずにいる場合が多いなかで、本書では紛争が当該国の経済や社会にもたらす長期的かつ広範な影響(生産基盤・流通インフラの破壊、疫病流行、内戦再勃発の可能性等)を目配り良く考察してゆくところに説得力を感じます(第2章)。
 また、資源国であるにも関わらず貧しさから脱することが出来ない理由を読み解く2つ目の「天然資源の罠」では、独裁制を採る資源国より民主制を採る資源国の方が、資源によるレント(超過利益)を元手に利益誘導を図る政治家が多く出るため効率が悪くなることを立証。民主化の実現のためには、単に選挙を導入させるだけではなく政治家を監視システムの導入を説きます(第3章)。
 この他、海と隔たることで国際市場へのアクセスが細くなってしまう「内陸国であることの罠」を3つ目(第4章)、腐敗により行政機構が機能して行かない「劣悪なガバナンスの罠」を4つ目の「罠」(第5章)としてそれぞれ挙げています。

お薦めどころ2:最適で現実的な方法の提示、

 以上の統計研究による成果を踏まえて、著者は最貧国が現状から抜け出すための施策を考え抜き次々と提示してゆきます。その提示の仕方が(1)援助一本槍ではなく、タブー視されがちな方法にまで踏み込んで多彩に提示していること(2)被援助国の状況にあわせて採るべき施策を変えたり組み合わせたりすることを提唱する等の細かな工夫がなされていたり、解決すべき問題を絞り込んだ柔軟かつスピーディな施策を要求したりしている点、本書を現実味あるものにしています。
 例えば、前記(1)に関わるところでは、紛争の早期終結と虐殺の拡大を防ぐために時として軍事介入も躊躇うべきではないとし(第8章)、また天然資源や規制により不可避的に発生する最貧国政府の腐敗の根を断ち切らせるため、テーマ毎に国際憲章を作りガバナンスを実効性あらしめる(第9章)こと等を提唱していることが挙げられます。
 また前記(2)に関するところでは、紛争終了直後は、資金援助を行ってもガバナンス未整備故に無駄になる(それどころか援助金狙いの軍部のクーデタを誘発しかねない)のでスキル供与やガバナンス確立のため資金をなるたけ使わない援助に特化し、ある程度不正や援助金の使途等を監視できる体制確立後に成長を増進するための資金援助を長期継続するべきとしている点(第7章)や、先行したアジア諸国が支配する労働集約型産業市場へ最貧国が割って入るべくアジア諸国向け関税障壁が残っている今のうちに最貧国に向けた先進国の関税障壁をいち早く撤廃すべきとしている点(第10章)等を挙げることが出来ましょう。

お薦めどころ3:自律的な経済成長を行うようになるまでを目標とする

 大事なのは、本書で提示されている救済策は、あくまで最貧国が停滞状態を脱し、「成長する」途上国と同様、自律的な経済成長の軌道に乗ることに向けられている点にあります。第6章で最貧国が1980年代以降世界を覆った成長のサイクルに乗り遅れた様子と理由を詳述したあと、第7〜9章で先に見た各種施策の提言を行い、第10章で改めて成長を促進する「輸出多様化」のための方策を数多く打ち出しているように、本書の構成自体がそのことを示しています。
 著者が、経済成長とその前提となる貿易拡大をいかに重要視しているかは、貿易がもたらす便益を知的怠惰ゆえに理解しようとしない先進国の援助団体や自国製品を海外市場へ向けて自国民が売り出す努力を台無しにする最貧国の「エリート」達を怒りもて糾弾している点でも明らかでしょう(P.304「非現実な反グローバリズム主義者のロマンチシズムと第三世界のいかさま師との結託」と表現)。とかく他の論者への挑戦的姿勢が目につく最終章がネット上では話題になっているようですが、そこへ行き着くまでの議論の過程こそが著者にそのようなスタイルを取らしていることを理解しておくべきだと思います。

 他のブログでの書評
  梶ピエールの備忘録。
  ものろぎや・そりてえる
  西東京日記 IN はてな

最底辺の10億人

最底辺の10億人

処刑御史 荒山徹/幻冬舎文庫

 1857年冬、三浦半島沖で16歳の伊藤俊輔(のちの博文)は全裸の美少女に襲われる。彼女は、後の朝鮮統監を若い時分に暗殺し日本による朝鮮支配を歴史上ないものにするために、51年後の朝鮮からタイムスリップして来た暗殺者集団「処刑御史」の一人だった……。魔術、剣術、銃に長けた朝鮮人暗殺者集団と若き伊藤博文そして彼を守ろうとするミステリアスな朝鮮人美女・雪蓮との間で驚天動地の戦いの幕が切って落とされます。
 評判には聞いていましたが、魔術による戦い方のぶっ飛んだ加減に、終始笑いずめでした。落雷で帯電した大百足、目からサーチライトを発して俊輔達を探す仏像、男をコントロールにするのにヒロインが用いる方法等々、次々と繰り出される大技に頁をめくる手が止まることがありません。まさしくノンストップアクション。タイムトラベルにつきもののタイムパラドックスについても、かなり強引な方法ですが回収しています。エロの成分もほどほどにあります。
 しかし、将来日本が朝鮮に対して成すことを聞かされて義憤に燃える俊輔やそんな彼にただただ尽くす雪蓮は、日本人にとって(そして雪蓮は男にとって)都合のいい造型なんでしょうな。51年前の自国にきて内省的になる朝鮮人暗殺者の姿にもそんなことを感じます。
 現実の伊藤博文や彼と意を通じた知日派に対する冷静な歴史的評価は必要でしょうが、それは本書への評価の外側で行うことではないかと思います。

処刑御使 (幻冬舎文庫)

処刑御使 (幻冬舎文庫)

グローバリゼーションを擁護する ジャグディシュ・バグワティ/日本経済新聞社

本書の意義

 国境を超えた人・物・金・情報etc.の行き来が拡大していくことは、人々の生活を豊かにするのか?
 戦後同程度のレベルから出発し開放経済の優等生となった韓国と閉鎖経済体制を取り続ける北朝鮮それぞれの現在の国情を比較するなら、直感的に肯定する方が良さそうです。一方で、サミットやG8の度にグローバリゼーションが地球規模の格差を生み出しているとアジるデモが会議場を取り囲みます。対象が広いうえに、正反対の意見が対立するので非常に見通しがつけにくい論点と言えるでしょう。
 そこへ「グローバリゼーションは、適切に管理さえすれば人類を幸福へと導く最強のツールになりうる」として高名な国際経済学者である著者が著したのが本書です。著者はインド出身のコロンビア大学教授。国際機関における政策立案にも携わり、各国の政権中枢に通じ環境問題などを扱う国際NGOにも顔が広い人物です。途上国と先進国、学問と実務そして政府機関と非政府機関というように相対立するように思えるカテゴリのいずれにも通じておられる点、この問題を読み解くのに打って付けの人物であることが推察できるでしょう。

お薦めどころ

 本書のお得なところは、貧困、女性問題、労働問題、環境問題、文化摩擦、知的所有権、国際金融、移民等およそグローバリゼーションに関連づけて論ぜられる問題を悉皆取り上げそれらについて丁寧に検討しているところでしょう。概ね、世間で通用しているそれらの問題についての「思い込み」を膨大な実証研究を引用する等して誤りを正し、さらに妥当とされる処方箋を示すという形で進行してゆきます。
 例えば、「多国籍企業が途上国現地の工場において低賃金かつ劣悪な条件で労働者を雇用している」(いわゆるスウェットショップ)という告発に対し、それら工場は進出先の国の中では高賃金・好条件で働ける職場とされており、上昇志向があるため勤勉かつ長時間労働を厭わない働き手(ちょうど日本の高度成長期の労働集約型の工場で多く見られた)を数多く惹きつけていることを示しています。むしろ、途上国における労働慣行や経済レベルをまるっきり無視して、製品を自国市場から締め出すことをチラつかせ自国に近い労働条件を相手側に押し付けることを図る先進国の労働組合や人権団体は、途上国では話の判らぬ「新しい帝国主義者」として忌み嫌われているとのこと。
 また、東南アジア等で使われているエビ漁網がウミガメを捕獲するおそれがあるので、それらの国々からのエビ輸出規制をWTOに働きかけるロビイングを行った環境保護団体について、ウミガメが網にかからなくする装置を購入して与えた方がよっぽど確実かつ安上がり(エビ禁輸はそれを採って生活を立てている途上国漁民の生活をまず直撃します。すなわち装置購入/発送/取付費<漁民の生活に与える損害)ではないかと指摘しています。
 さらに、貿易自由化と併せて調整支援プログラムの必要性に言及する(施策未整備の途上国については先進国や国際機関から整備に向けた支援の必要性)など、グローバリゼーションが引き起こす短期的なマイナス効果とそれに対する処方箋にもきちんと目配りしています。

感想

 上記の二例は、人権団体や環境保護グループがWTOという本来互恵的な自由貿易体制を目的とした機関に、労働環境改善(ILOという立派な国際機関がちゃんと存在する!)や生物保護を解決させようとしたお門違いな事例です。いやもっと言えば自ら手を汚さず(ワシントンやジュネーブでのロビイングには湯水の様に金を投じていますが)自らの行為によって生じた損失を途上国に押し付けて恬然としている点で「恥知らず」と形容しても良いでしょう。双方とも落ち着いて考えれば経済学的知識以前の常識レベルで誤っていると判断できる感が否めなくありません。しかし国際機関においてすら堂々と罷り通る所を見ると、様々なトレードオフを考慮に入れながら「複雑な現実」に働きかけねば全体の経済厚生を損ねてしまう恐れがあるとする経済学的思考(本書226頁)はいとも簡単に無視されてしまうというのが実感です、特に正義感をもって声高に発せられる主張を前にしては。

将来へ向けた教訓

 バグワティ教授は、賃金問題では先進国企業を弁護していますが、知的財産権の問題では自身の権益保護の為これまたWTOに働き掛け、アフリカ等への安価なエイズ薬の普及を妨げる欧米製薬企業の振る舞いを弾劾しており、その立場は公平であり一貫していると言えます。
 結局、グローバリゼーションに関わる各機関・企業に、自らが責任持てる分野外で害悪*1を撒き散らすのを止めさせ、人々の厚生拡大に向け節度ある態度をとらせる、所謂「ガバナンス」を如何に構築してゆくかが、今後のポイントになってゆくと理解しました。すなわち、
 (1)先進国政府は、農産物を中心に貿易障壁を撤廃したり、途上国の貿易・資本移動自由化に向けた体制整備に協力したりする等グローバリゼーションから取り残されがちな途上国をその輪に入っていけるよう努める。
 (2)途上国政府は、狭い国内市場だけを相手にする輸入代替政策ではなく全地球市場を相手にする輸出促進政策こそが自国の経済成長に資することを理解し、先進国や中進国の成功・失敗事例に学びまたそれらの国々に積極的にノウハウ移転のための支援を求める。
 (3)WTO世界銀行そしてIMFといったグローバリゼーションに密接に関わる国際機関は、先進国の企業、労働/環境等の各種団体によるロビイングによりそれぞれが果たすべき役割を歪められることのないよう努め、(2)の途上国の努力を積極的に後押しする(例:IMF/途上国の金融危機に際しては「最後の貸し手」として積極的な金融緩和で臨む、世銀/農産物輸出によりこれから国際市場に入っていく国々に対して生産奨励と共に農民向け価格支援プログラムを実施することを促し、その作成に協力する等)
 (4)労働/環境等を扱うNGOは、その持てる正義感を発揮して具体的に生じている不都合な事態の解決に動くのは当然として、その手段については自らがコントロールできるもの(例えば、言論による告発等)に留め、貿易制裁や貿易障壁がもたらす害悪について知り、自分達が取り扱うジャンルの問題を解決する手段になり得ないことを認識する。
 (5)国際市場で活動する企業は、途上国を中心に新たな雇用機会の提供、技術移転や進んだ環境水準の移転を行うのは当然として、(4)で見たNGO同様、自分達の利益確保の手段として貿易制裁や貿易障壁を用いることを行わない。
 バグワティ教授は、ガバナンス構築については上記のように方向性を示すだけですが、具体的な方法については各機関・企業が第一義的に取組むべき課題ですので本書が取り扱うべき範疇を超えていると思います。一つだけ思い当たる方法があるとすれば、マスコミ等による報道も含めた組織の透明性の確保が、特に国際団体やNGO(納税者や議会のチェック受ける政府や株主・消費者等によるチェック受ける企業と対比せよ。ただし、途上国政府は先進国と比べ監視の目が弱いのが事実)に必要になって来るでしょう。
 総論・各論含めグローバリゼーションを論ずる際には避けて通れない本。おすすめ。

グローバリゼーションを擁護する

グローバリゼーションを擁護する

 

*1:これって経済学でいう「外部不経済」に当たるんだろうな。とすれば「害悪」を垂れ流させないための適切なインセンティブ設計が重要になると。